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おめでとうございます。

今日は 昨日の続きではありません。
今日 海老一染之助師匠の他界されたニュースが流れています。
昨日の続きは次回に回し 今日は葬儀の話です。

今日は午前中 折尾まで行って来て 昼からは 露の新治さんの人権講話を聴いてきました。
大変 面白い講話でした。この話は また次回に。
そんなこんなで 4時に講話が終わったので 今日はそれで上がりです。
時間が ありますので ちょっと、お付き合いください。

染之助師匠の兄染太郎師匠が亡くなった時 染之助師匠は「おめでと~う」で送って下さい。と言ってたのを思い出しました。
まことにいい葬送だと思います。
とっても 明るい芸風に合っています。
今回も 「皆様の笑顔で回っております。『おめでとうございま~す』で送りましょう」
そう あの後味のいい笑い・芸・微笑み もう見れません。
おめでとうございました。安らかにお眠りください。冥福・・・・

ここからが 私設コメントです。
葬儀は 落語では「墓行きがする」とか言ってめでたいものと扱っております。
又、「地獄八景亡者の戯」のように 明るい死生観を持っております。
やせ我慢もあるでしょうが 他の芸能よりは明るい死生観です。

私の両親は 明治生まれでした。
私は そこそこの歳です。それでも両親が明治生まれ?
そう、私は 両親が年を取ってからの子なのです。
直ぐ上の兄でも8歳開いています。
同級生のなかでも 両親明治生まれの親はいませんでした。
親は「お前は 可哀そう。親(私たち)と一緒に暮らせる時間が 他の人達より短いだろう。俺たちは他の親より確実に余命が短い。
可哀そうだが 恨むなよ」と言われいました。その引け目のせいか 明治生まれの親からすると 結構甘やかされて育ちました。

結果は 両親とも長生きし 共に90才以上まで生きられました。
同級生の中では 両親共に過ごせた時間は長い方でした。親の危惧はとり越しだったようです。
私の生れは 田舎です。ここに 新しい食い扶持はありません。
今ある 事業を継ぐ家長以外は殆ど 故郷をでます。
母親は「お前も いずれはここを出ていくだろう。その時は もう私たちには死に目には会えないものと思って出て行くんだぞ。
私も そう思って送り出す。無理して帰って来なくていい。
私も 無理に苦しい姿を見て欲しくないから。元気な時の姿を覚えてくれていたらいい」
(死生観は人それぞれです。こんな死生観を押し付ける気はありません。ただ 私の親がこうだったというだけです)
こんな 親ですが当然のことながら別れの時は来ます。
この続きは 明日です。
決して湿っぽい話ではありません。明るい親の話ですのでまた 明日お覗き下さい。



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