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うれしい。ありがとう。

なんのタイトル?
これは私の父の葬儀の時の挨拶です。

父は 90数歳の時大病が見つかりました。
歳が年なので 痛みを取るだけの治療です。
手術までして苦しむこともあるまいと 家族、医師共の共通の納得です。
でも 病院というものはそれぞれの合う合わないの環境があるようです。
父は それまでは同じことを繰り返して尋ねますが その時のその時の会話は理解できていました。
しかし 入院して少しすると ボケが出始めます。家族・病院のスタッフを煩わします。
正気に戻った時は「家に帰りたい。帰りたい」と言います。
私が見舞って数日経ったあと、兄から電話です。
「親父、病院引き払って、家に連れて帰った。本人の希望だし、周りのみんなも同意のことだ。お前もそぉ思うだろ。
家で 逝きたいんだ。多分 医師の話では 1~2週間だろう。お前もそのつもりで・・・」
私も 納得の結果です。心静かに待っておりましたが 1週間しても、2週間しても電話がありません。
1か月たった折電話してみますと「あぁ、元気になってきてる」とのこと。はぁ~?
聞けば 自宅で点滴はしながらも 好きだった酒だ、名残りに少し飲ませてあげようと
口を酒で湿らせていましたが、それが 盃に半分になり、1杯になり、2杯や3杯になった。
近頃は「肴はないか?」と言ってる。
そうなんです。点滴や薬より 酒で元気になったんです。
歩くまではいきませんが ベッドに座れるほどになったのです。
それから 父は2年生き延びました。

そんな折 義姉から電話があり
「お母さんが亡くなった」
「えぇ、親父の間違いでしょう?」
母も親父と1年違いですが いたって元気だったのです。
「いや、お母さんが亡くなった。この前 お母さんの誕生日会をして 大変喜んで楽しんでいました。
その夜『ちょっと、疲れました。先に休みます』と寝たきり 今日亡くなった」との事です。

私が 邦に帰った時は すでに葬儀の準備が整いつつあります。
元気だったとはいえ 90過ぎですので大往生。みんな納得の墓行きです。
泣く人はいません。父も泣いていませんでした。(亡くなったときは知りませんが)

で、葬儀となり 喪主は当然父ですが 高齢故長兄が代理です。
式は進み 喪主挨拶となります。当然兄が「喪主になり替わりまして・・・」と言ったところで
父が「俺がやる」と言って起き上がりベッドに腰かけたのです。
兄は 不安そうにマイクを父に渡しました。
開口一番父は
「今日は うれし~い」
えっ。会葬者もビックリ、一番驚いたのは親族です。
あぁ~、母が亡くなってそのショックで ボケが進んだのか?
でも、違ったのです。兄はマイクを取り上げようとしましたが 父はそれを制して
「今日は うれしい~い。今日は こんなに多く人の顔が見れて私はうれしい。
いつもの顔、懐かしい顔、久し振りの顔、こんなに一杯の顔が一度に見れて、私はうれしいです。
私の妻〇〇子
(あっ 今親父 母さんの名前呼んだ。生前父は母を呼ぶとき名前なんか1度も呼んだことがないのは母から聞いていました。
呼ぶときはいつも「おい」とか「こら」だけです)
私の妻〇〇子は いい女でした。〇〇(長男の嫁)も、とってもいい人です。介護もよくしてくれます。有難う。
でも残念ながら〇〇子には まだまだ敵いません。
〇〇子は最高の女でした。だから 今日はこんなに多くの人が送りに来てくれた。
私の妻は こんなに多くの人に 愛されていたのを改めて知ることができました。
私はその夫であったことがうれしい。今日はありがとう」

おいおいおい、「うれしい」と「ありがとう」で挨拶しよった。
それまで 90才超えの大往生 誰も泣く人はいなかったのですが 父の挨拶の後 目頭を押さえる人が多々ありました。

明治生まれの父です。こんなこと言えんのか。だったら 生きてるうちに言ってやれよ。
亡くなってから のろけんなよ。
亡くなってから 改めて口説くなよ。
でも 聡明な母のこと そんなことは百も承知だったでしょう。

父は 母が亡くなって丁度1年後に母の元に旅経ちました。

私は 人は死ねば肉体は土と水に返る。精神も無になってしまう。来世など信じられませんが
私の 父と母には来世があるんじゃないかと思っています。
多分 あの世で お互いに小言を言いながら 「おい」とか「こら」とか呼んでいるのでしょう。

「うれしい」「ありがとう」この二つで葬儀の挨拶をした話でした。



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